幻影詩篇
2013年01月05日
「青い月 幻影詩篇」に寄せて2
「青い月 幻影詩篇」の表紙に使っていただいた「森へ」は
私のホームページ「gallery喜翔ろまん館」で連載中(といっても何年も更新せず忘れた頃にぽつりぽつりとアップしているお恥ずかしいものではありますが・・)のファンタジイ「リトルイースト物語」のために描いたもので
ストーリー的には不思議なトカゲを追って暗い森へ入る双子の姉妹を描いています。
そのため、たびたび私の絵に現れる「迷子の不安」が、他の作品よりも色濃く漂っています。
絵画教室の生徒さんのなかには怖いと言う人もいたこの絵を、
弘美さんは最初に見たときから、とても好きだと言ってくれました。
とても大切な存在を失って一時的に迷子になってしまった心を言葉に紡がざるをえなかった彼女の詩に、
心のどこかでいつも、迷子になってしまうことに怯えている私(たち)は共感します。
そのことで彼女の詩はとても普遍的です。
・・・・そしてその光は七色のエネルギーとなり また新しく歩き始めなければならない君に 微笑みながら 送ろう・・・・・
この詩集の帯に印刷された詩の一節のとおり
知的で凛々しい人である彼女は出版というエネルギーの必要な作業に没頭し、散らばった思いをアルバムに綴じて(あるいは閉じて)次の一歩を踏み出そうとしているようにも見えます。
彼女らしい見事な処し方。
でもあまり急がないで・・とも思うのです。
「青い月 幻影詩篇」をさらりと読んだばかりでのとても個人的な感想です。
これから先、ときどき引き出しから取り出してはじっくり楽しむことにいたしましょう。
私のホームページ「gallery喜翔ろまん館」で連載中(といっても何年も更新せず忘れた頃にぽつりぽつりとアップしているお恥ずかしいものではありますが・・)のファンタジイ「リトルイースト物語」のために描いたもので
ストーリー的には不思議なトカゲを追って暗い森へ入る双子の姉妹を描いています。
そのため、たびたび私の絵に現れる「迷子の不安」が、他の作品よりも色濃く漂っています。
絵画教室の生徒さんのなかには怖いと言う人もいたこの絵を、
弘美さんは最初に見たときから、とても好きだと言ってくれました。
とても大切な存在を失って一時的に迷子になってしまった心を言葉に紡がざるをえなかった彼女の詩に、
心のどこかでいつも、迷子になってしまうことに怯えている私(たち)は共感します。
そのことで彼女の詩はとても普遍的です。
・・・・そしてその光は七色のエネルギーとなり また新しく歩き始めなければならない君に 微笑みながら 送ろう・・・・・
この詩集の帯に印刷された詩の一節のとおり
知的で凛々しい人である彼女は出版というエネルギーの必要な作業に没頭し、散らばった思いをアルバムに綴じて(あるいは閉じて)次の一歩を踏み出そうとしているようにも見えます。
彼女らしい見事な処し方。
でもあまり急がないで・・とも思うのです。
「青い月 幻影詩篇」をさらりと読んだばかりでのとても個人的な感想です。
これから先、ときどき引き出しから取り出してはじっくり楽しむことにいたしましょう。
2013年01月02日
「青い月 幻影詩篇」に寄せて
注文していたY.N.弘美さんの詩集「青い月 幻影詩篇」が届きました。
日本語、英語、フランス語で書かれた白いまっさらな本。小振りのサイズはしっくり手に馴染んで詩集にふさわしく、作品タイトルが入って印刷された表紙絵は作画意図とはまた違った世界観をまとって自分の描いたものと思えないほど素敵に見えます。
フランス語と英語の専門家であり翻訳もする弘美さんが、昨年早々にとても大切な存在を亡くされたのを知っている私は昨夏、詩集出版の話を聞いて少し戸惑ったのを覚えています。半年ほどの時間ではまだ悲しみとの距離がとれていないのではないかと。
詩についてなんの素養ももたない者が感想などおこがましいのですが、さらりと読んだ印象は「とても良い!」です。言葉の専門家ならではの知的普遍化を経て、距離の取れない時期だからこその言葉の生々しさがとても魅力的な詩になっています。
そして私の作品「森へ」を装丁に使っていただいた理由も少しだけ解ったような気がします。
それについてはまた後日.。
日本語、英語、フランス語で書かれた白いまっさらな本。小振りのサイズはしっくり手に馴染んで詩集にふさわしく、作品タイトルが入って印刷された表紙絵は作画意図とはまた違った世界観をまとって自分の描いたものと思えないほど素敵に見えます。
フランス語と英語の専門家であり翻訳もする弘美さんが、昨年早々にとても大切な存在を亡くされたのを知っている私は昨夏、詩集出版の話を聞いて少し戸惑ったのを覚えています。半年ほどの時間ではまだ悲しみとの距離がとれていないのではないかと。
詩についてなんの素養ももたない者が感想などおこがましいのですが、さらりと読んだ印象は「とても良い!」です。言葉の専門家ならではの知的普遍化を経て、距離の取れない時期だからこその言葉の生々しさがとても魅力的な詩になっています。
そして私の作品「森へ」を装丁に使っていただいた理由も少しだけ解ったような気がします。
それについてはまた後日.。